組織の中にあるシンプルな答え

連休最終日は雨。
この2日間は書類仕事をマイペースでこなす。
明日から週一杯京都滞在ということもあり、
済ませて起きたかった報告書作成。
それも無事に完遂して、心置きなく荷造りが
できる。がしかし、明日京都入りできるのか?

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7月から委託されていた組織プロジェクトの
仕事が一通りの終わりへと辿り着いた。
今回は、全体で約15名ほどのチームを対象に、
組織活性化と名付けて進めてきたもの。

事前調査から始まり、
2度にわたる全体のセッション、
途中、管理職対象のセッションを挟み、
最後はチームディスカッションで、
実際の課題について終日かけて
意見を交わす機会を演出した。

これまで、階層別の対象者に向けての
はたらきかけが圧倒的に多かった中、
今回のような、今年度の新卒から
20年来の経営者幹部までが混在する
チームを対象にできる機会は珍しく、
全てにおいて「実験」だったに等しい。

ありがたい機会だった。

わたしは、今回のケースにおいて、
これまでになく「家族の座」を学びだして
よかったと思えた。まだまだ学びの道半の
ため、ワークとしてアプローチを選択した
わけではないのだが、この心理療法の基に
なっている「現象学」の考え方が、
今回のクライアントを観察する上で、
非常に役立ったことを強調したい。

今回のクライアントだけでなく
全ての組織において言えることは、
様々な視点・視座を持った複数の人間が、
1つの同じ事柄や出来事を認識している、
というまぎれもない事実だ。
しかも、それぞれ固有の視点や視座で。
その結果、誰もが望まなかったであろう
認識の違いや温度差みたいなものが、
その複数の人間の間には、
結果生じてしまう。
これは、致し方のないことなのだ。

組織というある種の定められた秩序の中で、
この認識の相違や温度差が課題となる場合、
その解決策はたった一つで、

いかに相互が歩み寄り、
理解を深めることができるか


に、尽きるのではないだろうか。

組織コンサルティングという
今の仕事をしながら、
いつも結果的に辿り着く
シンプルな答えが、これだ。

そのような相互理解が乏しいときには、
強烈なリーダーシップが必要となる。

がしかし、ときに強烈なリーダーシップは、
組織内の人々から「考える機会」を
奪ってしまいかねないので、
最終的な解決策にはなり得ず、
この時代にはそろそろそぐわなくなって
きていることも事実であろう。

先に書いた「家族の座」の方法論の真髄は、
わたしに今回のクライアント案件で、
彼らの中に具体的にどんなことが起きているかを
見つめ観察するときに、

前提を強く持たず、
ただその場に起きたことを
ただ見つめ受け取る

という概念をもたらしてくれる。
そして、関わる相手をまず「尊重する」
ことが、いかに大切な要素であるか、
ということを、
今回のような事例を通して体感する。

組織において、犯人探しと犯人叩きは、
その結果として生み出すものが、
あまりにも少な過ぎるのと
非効率な作業であることに違いない、と
わたしは思う。

一方で、ガバナンス、コンプライアンス、
給与のための評価、、、
といった一定のジャッジが必要なことも
事実である。そうであるが故に、
組織の中で他者をジャッジする役割を
担う人ほど、
己を客観的に知ってほしい、
と強く思う。
もっと正確に言うと、
自分の思考と言動の基盤になっている
パターンや思い込み知って欲しい、と。

そうでなければ、
ジャッジする人の根底にある、
本人すら無自覚なパターンと思い込み
次第で、そのジャッジが、

組織のためではなく、
自分の奥底にある満たされないものを
満たすことに使われてしまう可能性


が大いにあることを知っておいて欲しい、
と常々思う。
どんな組織と対峙した時も、
これは、痛烈に感じることなのだ。

では、ジャッジをする役割を担う人とは、
一体誰なのだろう?

すべての経営者
すべての代表者
すべての管理・監督職
すべての人事・教育担当者
すべての教師職

といったあたりだろうか。

来月開催する「家族の座」の
リトリートは、すべての人のためであり、
ここに挙げた人たちにも届いて欲しい、
と願って企画したものでもある。

この、組織や人間関係において
わたしがとても重宝している方法論に
ついては、明日へつづく。。。

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