「重ねる」ーとあるセッションが教えてくれること

8月に入って、次々に咲くひまわり。

歌の歌詞にあるとおり、本当に同じ花など2本とない。

それでいて「規則性」が見事なのがおもしろいと思う。

葉のつき方や、中心の雄しべと雌しべのつき方、

あちこちに一定の規則性が働いていて、美しさを創っている。

うーん、シド先生の講義で教えてもらった話を思い出す。

美しさの背後に存在する規則性と不規則性の両方。


で、本題。


今週末は久々にunicaにお邪魔する。

個人セッション3日間。

この酷暑の中、予約をいただけるだけでもありがたいなあ。

実りある時間が過ごせるように、わたしができることはしっかりと。

体調管理もその一つ。しっかり気を抜かずいこう。


とあるクライアントさんとのセッションを重ねてきたプロセス。

対面セッションを数回重ね、その後、クライアントさんからの

ご希望をいただき、メールでのセッションを通じて、継続的な

コミュニケーションを取っている。かつて数回一緒に描いた

フューチャーマッピングのチャートも、今ではすっかり

ご自身で描いて、その内容や解釈についてのシェアや質問を

してくださる。良い意味での「貪欲さ」が行間からですらも

伝わってくる。「自分をなんとかしたい」ということへの

ヘルシーな「貪欲さ」だ。


中でも、ご自身が最も触れるのを恐れていた感覚や意識のパターンに、

恐る恐るながらも果敢に触れていくプロセスが、

わたしにはとても「美しいこと」として伝わる。

きっと、その恐れのプロセスの渦中にいた時は、さぞ気持ちや感情が

揺さぶられ、不安になったり悲しくなったり時には怒りすらこみ上げた

きたのであろうと推察しながら・・・。その「生々しさ」が

「生」だなあ、と思う。だからこそ、わたしができることとして、

そこに果敢に挑んでいるその方を「生々しく」応援することに限られる。

「生々しく」といっても、わたしにできることは限りなく

「伴走」に近い。それ以上でも以下でもない気がする。

そこにある「事実」を「事実」として一緒に認識する、

というのがわたしの「伴走」スタイルだ。きっと。


このクライアントさんは、「自分の手で答えを見つける」という

強い意志があり、これまでも一つ一つ見つけてきたことで、

自身を創り上げてき。そのプロセスにわたしはずっと伴走者の

ようにご一緒させてもらっている。

だから、「生々しさ」を「きれいごと」に変換してしまう

ような生半可な応援などしたところで、それはこの方にとって

応援にすらならないことが、容易に今となってはわかってしまう。

これは一緒に時間を重ねられたことから得る恩恵以外の

何者でもない。


このクライアントさんが、セッションを重ねることでわたしに

証明してくれたことは、ご自身のプロセスに真っ向から関われば

関わるほど、嫌だ、苦手だ、と恐れていたことは、

いつの間にかその人が当たり前にこなせることに変容する

ことが多々ある、ということであり、それをまた異なるケースで

積み重ねていくことそのものが、その人にとって本来ずっと

あったはずの「心地よい中心軸」の存在を思い出すことに

繋がっているということ。


真摯に自分と関わった努力は裏切られようがない、とでも

言えるだろうか。この春、父が突然倒れた時に、

看護師をしている友人が、


「リハビリは裏切らないよ」


という言葉をくれたことを思い出す。


「重ねる」というプロセスを信頼することをここ数年で

学んでいるわたしにとって、このクライアントさんとの時間は

わたしが「次に何をしたいか」を考える時に刺激をくれる。

そんな中、温め続けてきた(仮名)「社長セッション」をそろそろ解禁

したいなあと思って、昨日Facebook先行で告知した。

誰が見てくれるかわからないけれど、試したいと思って

下さる方がいらしたらいいなあと思う。

まさに「重ねる」ことを前提としている。

つまり、1回でコンプリートするセッションではない。これはこの先、

わたしが育てていきたい事業の一つ。よって焦って進めたくはない。

が、しかし受けてくださる方がいないと始まらない「形」なので、

興味を持ってもらえるように、しばし伝え続けることが必要だなあ。


今日も本当に暑い。脳みそが茹だる。

向かいの相方さんは「無になる」ことで暑さをしのぐという。

こんな暑さの時だからこそできることってなんだろう。

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