新たなボトルに想うこと。
9月5日(イギリスの現地時間)に、新しいボトルが生まれたという。
今回ボトルの画像とともに公開された、
オーラソーマアカデミー学長の説明文も非常にわかりやすい内容。
「なんて難解な文章なんだ」とボヤいていた頃とは
比にならない明確さだ。あえて言うと、105番とか106番あたりが
生まれた頃。果敢に和訳にチャレンジしたけれど、
後から読んでもなんとも意味不明な訳し方しかできなかったことを
思い出す・・・苦笑
いろんな意味でSimplified(シンプルになる)されているのだろうか。
ボトルの画像を見ただけで、自分の中の何かが猛烈に共鳴したがって
いるような感覚を覚えた。個人的には珍しい体験なだけに、
このボトルへの最初の見解が気になり、説明文を読むことで、
さらに「共感したがっている感覚」を自分が抱いていることを
納得させてくれた。先ほどのリンク先は、オフィシャルな日本語訳だが、
今朝、大好きな友人がシェアしてくれた彼女自身の訳がこれまた
シンプルでわかりやすく素晴らしい。
彼女の訳から、好きな節を引用させてもらおう。
まず、冒頭に説明のある、
"エメラルドグリーン/ミッドトーンオリーブのコンビネーションは
太陽神経叢からハートへ向かう旅を結び付ける。"
これは色とチャクラの関連性について書かれている。
太陽神経叢のチャクラ = イエローが、
ハートのチャクラ=グリーンと通るとき、そこには、
オリーブグリーン (= イエロー + グリーン)がある。
太陽神経叢のチャクラ(イエロー)の扱う領域は、ずばり、
自我であり自意識でありすなわちエゴである。
自我を、自意識を、はたまた、エゴを越えていく旅の示唆。
その過程にオリーブグリーンが待っているのだ。
自我を越えていくということには、痛みがともなわないわけが
ないと思う。それはある意味、「幸か不幸か」という判断を
手放していくことだから。そしてこの役の一節にたどり着く。
"過去の数々の失望を我々が手放す時、新しいレベルの希望への
移行の機会をもたらします。恨みつらみの数々は希望的観測では無く、
新しい希望の感覚へと変容します。"
新しい希望ーNew hopeーの感覚への変容。
これは、今のそしてこれからを生きる人類にとって
とても必要な感覚ではないだろうか。
わたしたちが・・・
幸せであるか否かを、
成功しているのか否かを、
決めているのは、わたしたちの中の一体どんな要素なのか?
ということへの問いかけでもあると思う。
※画像はこちらからお借りしました。
このボトルが生まれた頃、わたしが目を離せずにいたのは、
あのトルコの海岸線に打ち上げられた男の子のニュースと
そこから派生してメディアに火がついた「シリアの難民問題」
だった。このボトルの誕生とこの出来事がわたしの中では
どうしても結びついてしまう。
そして、同時期にして、自分の、自国の、足元を見れば、
そこには安保法制。この2つは、起きていることも背景も
当然のことながら異なってはいるが、どちらにも必ず、
集合的人類のエゴイズムが必ず在ってのことだ。
白と黒
正解と不正解
成功と失敗
幸せと不幸せ
ありとあらゆる2つの対局にある方向性の「狭間(はざま)」に
立つことを自分に、そして自分以外の誰かに許可できるかどうか。
そんなあり方が問われている気がしてならない。
これは、二極化の否定を意味することとは全く異なる。
左右や上下への二極化を認識した上で、
その「狭間」に立つ体験をすることは、新たな認識をもたらす気が
してならない。わたしにとって、その助けになるのは瞑想に
取り組むことであり、瞑想的な視点そのものなのだ。
かつて組織の中に身を置いて仕事をしていた経験と、
組織から離れて自分自身が組織そのものになった今
得られている経験は、その「狭間」を教えてくれている気がする。
人が集まれば組織が形成されていく。
その形成された組織があって保たれる秩序は少なくない。
上もあり下もあり中間もあるけれど、
どこが優れているわけでも劣っているわけでもない。
それぞれに役割があるだけだ。
そして個性が伴うために、向き不向きがあるだけだ。
それを「能力の有無」という表現で片付けられることも
あるだろうけれど、そこでの位置付けは、
わたしたちを形成している数え切れない側面(ホログラム)の
ごく一部でしかないことを、善かれ悪かれ覚えておかなくては
ならない。そんな風に思う。
それを誰かのせいにしたところで、解決はされないのだ。
さらに友人の秀逸な訳は続く・・・
"見ることで、私達のハートにある真実は『わからない』に繋がる事が
できるという事です。もしかすると、複雑な発言のように思えるかも
しれないですが、事実とてもシンプルです。
『わからない』という事を理解する事は基本なのです。
それは何か感謝を通して、また空虚な感覚を通して
愛されるという事を超えた、存在するものに含まれる源の愛といった
何か深い感覚へのドアが開かれます。
カシエルは今この時の何かのエネルギーを表しています。
「I AM(私は)」という事を再評価する事を通して、
私達はどのようにこのエネルギーを自分たちのため為に
作用させられるのでしょう。"
特にこの最後の3行たるや。
これはとても自分にとって、今を生きている人たちにとって、
大切なことだと思えてならない。そうだからこそ、
オーラソーマをはじめとしたありとあらゆる自分を理解することを
助けるツールが役に立つのだと信じている。
オーラソーマも含め、ツールが「ツール」として
紹介され、拡散されていく時間が過ぎていき、
今やそれらを使いこなす側の「使いこなし方」が
問われている、とも思えてならない。
ここは、しばらく自分の考えるテーマにしてみたいと思ったりする。
後日に続けたらいいな。
素敵な訳をシェアしてくれた友人のれいちゃんに感謝をLoveを。
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