応答するとういこと。
White board art by Sidd Murray-Clark Creators Course, Enoshima in 2013
この写真は、2013年に開催された画家・シドさんによる
年に1度開催されているワークショップ「クリエイターズコース」の
会場のホワイトボードにボード用のペンでシドさんが描いていた絵。
シドさんがボードに向かって描いている姿を遠目に見ながら、
自分の画用紙に向かって悶々としていたことを思い出す。
あの2日間は、画用紙に向かう時間はずっと悶々していた気がする。
そして、来週末から東京・高尾山で、
今年の「クリエイターズコース」の3日間がはじまる。
久しぶりにどっぷり参加者として参加する。
楽しみだけれどちょっとした緊張感もある。
ワークショップでは、絵を描くわけだが、
この「絵を描く」という行為がわたしにもたらす
楽しさであり、緊張にもなりうることの一つは、
自分の中から何が飛び出してくるのか、
その場になってみないとわからない
ということだ。
その場の、しかも、瞬間瞬間 --- moment to moment --- に、
片手に筆を持った「自分」という存在と
がっぷり四つを組んでいるわけで、
楽しくノリノリで描いている自分だけでなく、
そこから逃げたくなる自分ですらも自分で目撃してしまう!
という、最早これは醍醐味!とでも言えるだろうか。
このとてもシンプルだけれど強烈な体験は、
よくよく自分の日常を振り返ってみれば、
その中の小さな瞬間に実はいつも起こっていることだ。
そのことをシドさんは、いつも、いつも、伝えていた。
とてもハッキリと分かりやすい言葉で。
それでもわたしは気づけないでいた。
一体なぜその「日常の小さな瞬間に起きている」
ということを気づけないでいたか。
それは単に自分の外側で起きていることに、
---例えば、
---自分の家族や家族との状況に起こることに、
---職場で自分の目の前の人や状況に起こることに、
---関係性を持っている相手や状況に起こることに、
日常のありとあらゆる種類の
「起こることへの自分の咄嗟の反応」ではなく、
「起こることそのもの」に自分の意識が奪われすぎていた
からだ。要は自分が無意識に反応していた、ということに
ずっと気づいていなかった。
・・・ということが、わたしには後からわかった。
・・・それも大分時間が経ってからのことだった。
(2015年6月 初めての長野県安曇野市でのワークショップの様子)
過去にこんなことを聞いたことがある。
"react (リアクト) " 「反応する」
"respond(レスポンド)" 「応答する」
この2つの違いについての話。
前者は、起きたことへの咄嗟の反応であるがために、
意図がない("リアクション"芸人さんたちにはきっとあるけどね。笑)。
後者は、起きたことに対しての「自発性」が伴う。要は、意図がある。
シドさんは、この後者の "respond" または "response" という
言葉をご自身の表現に多く使う。その数ある中の一つとして、
"わたしたちの創造性 "creativity"は、日常のありとあらゆる瞬間へ
"response"(応答)をしていくことに発揮されている"と明言している。
シドさんのワークショップに一つの手段として取り入れられている
「絵を描く」という行為は、わたしの理解を通して表現すると、
自分の人生を構成している日常の瞬間・瞬間を無意識な反応で
やり過ごしてしまうのではなく、意図を持って応答していく、
ということを体感するーまずは体験して感じて、理解に落とすー
そんな機会であるとも思う。
人は誰しもが、毎日を創造している。
それが意識的であれ、無意識的であれ。
意識的にー所謂「意図」を持ってー毎日を過ごしていくことが、
それまでとは違う新しい発見や創造をもたらしてくれることを
わたしたちはどれだけ理解しているだろうか?
わたし自身、その発見の旅の途中に居る。
そして、その旅に出かけるための準備に必要だったことは、
本当にシンプルなことだった。
そして、旅が始まってから確実に言えることは、
この発見が起きれば起きてくるほど、
毎日がいろんな側面から充実する。
もちろん「いい日だった」と言える日も
そうとは言い切れない日も、代わる代わるやってくる。
悲しくなることも怒りまくることも、
嬉しくて小躍りしたくなることも、代わる代わる起こる。
様々な考え事や悩みや不安だって、無いわけではない。
でも、例え今日という日が「いい日じゃなかった」としても、
その「良し悪し」に留まり続けることが本当に少なくなった。
それだけでも、わたしの日常は格段に良質な時間と空間になったのだ。
どうしてそうなったのか?と聞かれたら、具体的かつ明確な
答えは出せないかもしれないが、一つ言えることは、
このワークショップで体験・体感した「振動」が、
終わったあとも続いていて、絵を描くことで経験したことが、
日常を過ごしていく中で実践として生かされ続けているから、
と言える自分がいる。
(シドさんが撮ってくれていた写真。2013年東京での1デイワークショップにて。
「うわーこれ全部塗り潰すのか・・・」と思ったことを覚えている。笑)
わたしは、この「稀有な方法と手段」を提供してくれている
シドさんがもたらしている質が、もっと多くの人に触れられたら、
と心底思っている。だからワークショップを主催している。
そして、このワークショップは、理由や動機は何であれ、
年齢性別職業を問わず、参加への意図を持ったすべての人に、
その扉を開いているのだ。
その例として、たまに寄せられる親御さんからの
「子供に参加させたい」というお問い合わせに対しては、
「お子さん自身の参加意志がある場合のみお受けします」
とお答えしている。なぜなら、シドさんは、
参加者の皆さんのひとりひとりの "意図" に
応答する準備があるからだ。
正直、これ以上具体的な表現では、できない。
いや、できたとしても、それはわたしという個人の主観に過ぎず、
シドさんのワークショップがもたらす質は、
参加者ひとりひとりのもつ質に直接はたらきかける。
だから、この記事を目にして、Facebookの記事や写真を見て、
何か自分の内側が「揺れる」感覚がする人には、
ぜひ勇気を持って参加の扉をまずはノックしてみてほしい。
心からそう思う。
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