海・瞑想・アートーそこにあるもの
12月に入った。11月ー特に後半の過密っぷりが個人的にすごすぎて、
振り返ろうにもなかなか振り返れないでいてようやくひと段落。
今日は、シドさんの2 daysによるワークショップを振り返りたい。
地元愛知県ではあるが、個人的にあまり馴染みのなかった
南知多町を会場に選んだ。選んだ理由は、海があるからだった。
これまで、江ノ島や沖縄そして高尾でのワークショップを体験して、
やはり自然は欠かせない、と思ったからだ。
初日の内海海岸での夕陽。
このビーチで2度それぞれ思い思いに瞑想の時間を過ごした。
こんな風景を見れるのだから、この場所にしてよかったとつくづく思った。
今回はシドさんにとっても主催のわたしたちにとっても
「初」の試みとして、2日間を、
"絵を描かない日"と"絵を描く日"に分けての企画。
これは1年ほど前からシドさんに提案していたことだった。
「来年は、絵を描かない時間をあえて含めた
ワークショップをお願いしたいです」
シドさんからは二つ返事で承諾をいただいていた。
そんな提案をするに至ったワケは、いたって単純だ。
これまで自ら参加そして主催を続けてきて、
絵を描いていない時の何気ないシドさんとの会話であったり、
シドさんとのまるで禅問答のようなやりとりに、
自分はもちろんのこと、多くの方々が
そのコミュニケーションからインスパイアされて
絵に向かう姿があまりにも印象的だったから。
これまで定期的に開催されてきた1デイのワークショップで
垣間見れる光景だった。そこでふと思った。
絵を描かないでシドさんと過ごす時間があったら
どんなことが起きるんだろう。そして、
シドさんはどのような時間を提案してくれるのだろう。
内海海岸を目の前にする宿泊施設の会議スペースをお借りした。
広々とした畳の部屋でサークルを作った。
who is in? (内側に誰が存在する?)
という名前のついた瞑想のワークからこの日は始まった。
ペアになり向き合って座る。互いにwho is in?と問いかける。
問いかけられた人は、自分の中にやってきたことを語る。
問いかけた人は、自らが相手の鏡となり聴く。
語る側も聞く側も、目の前にした人は自分を映し出す鏡にすぎない。
そのあともシドさんのお話とともに瞑想的なワークが続いた。
夜に入り、宿泊組は一緒に宿で夕食を終えたあと、
急遽、希望者に向けてシドさんとの1 on 1のミニセッションが
開かれることになった。シドさんと対話された方々にとっては、
その日ご自身に起きたことのまとめや、ご自身の中に瞑想を通じてやってきた
葛藤を理解するヒントを得る時間になったと思う。
そして翌日に控えたペインティングワークへの準備にもなったのではないだろうか。
2日目のペインティングのワーク。内海海岸の隣・山海海岸から少し入った所にある
廃校になった小学校の体育館をお借りした。陽の光もよく入り、広々としたスペース。
外では地元の小学生のサッカーチームの練習が行われていた。
体育館の中は心地よい静寂に包まれていた。
そんな中で、ペインティングの時間がはじまった。
今回はシドさんから10Mのロール紙を用意するようリクエストがあった。
会場に広げられた10Mの画用紙に、全員で描いていく。
きっかけのテーマは「グリーン」だった。そして最初1枚だったロール紙は、
どんどん切り離されていった。
そして共同作業からはじまったこのペインティングは、やがて最後には
それぞれがひとりで取り組む形へと変わっていった。
大げさかもしれないけれど、地球に生きているってこういうことなのか、と。
今まさにこの時間にこの世界中に同時に存在している
すべての生きとし生ける存在とそして目に見えない存在とともに、
わたしは1枚の大きな絵を描いているのかもしれない。
それは地球を遠くから眺めた時にしか見えない絵なのかもしれないけれど。
絵が切り離されていく時、一抹の寂しさを感じたりもした。
切り離されない状態で見た全体の美しさが損なわれるような気すらした。
でも、切り離されたピースごとに見てもその美しさは変わらなかった。
以前シドさんのワークで、この逆を体験したことが何度かある。
それぞれが描いた絵をつなげて1枚の大きな絵にするプロセスを。
今回はその逆のプロセスを体験したけれど、どちらも同じなんだ、
という理解が自分の中に落ちた。
そして、前日に行った who is in?の「向かい合う人は鏡」ということを
より一層体感するきっかけに、わたしにはなった。
自分という存在は「個」であり「全体」なのだということ。
もしかしたらわたしたちはいつもその「間(はざま)」に立って
もがいたり葛藤したりしているのかもしれない。
唯一無二の個でありたい
全体の一部でありたいー繋がっていたい
初日の瞑想的対話と名付けたワークの時間で、シドさんは強調して言っていた。
その"gap (ギャップー間)"に立っている感覚を大切にしてみてください、と。
そして、"gap (ギャップー間)"のあるところに、gate(ゲートー扉)は存在するのだ、と。
自分にやってくる葛藤や恐れ・怖れ・畏れを排除することは、
もったないことなんだ、とわたしは理解した。
なぜならそれらはすべて目の前の扉が開く「鍵」になる得るのだから。
Photo by:野口さとこ Noguchi Satoko Photography
わたしは今日これから東京にシドさんの作品を鑑賞しに出かける。
楽しみなのと同時にちょっとわたしの心臓はドキドキする。
なぜなら、わたしにとってシドさんの作品は、
わたしの心の中を映し出す「鏡」にいつもなってくれるのを知っているから。
シドさんの作品という「鏡」を目の前にして、今日は、
どのような自分の中の心象風景と出会うのだろう。
最後に感謝を・・・
この機会を創ってくださった長年シドさんのワークショップを
何年も前から始めていたStar Poets Gallery 今村ひとみさん、
そして開催の準備から通訳そしてなんでもわかちあってくれる
Unica creative spaceの眞田友恵ちゃん、
今回写真撮影とヘルプを惜しみなく提供してくれた野口さとこちゃん。
そしてご参加くださったすべての皆さん、
常にそこにいるわたしたちを愛に溢れた眼差しで見てくれていたシドさんへ。
シドさん個展情報:Both sides now – Sidd Murray-Clark Exhibition 2015
シドさんのwebサイト:Sidd Murray-Clark EAST & WEST ARTS SENSIBILITY
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