Nowhere = now + here

2016年に入って早ひと月。
振り返ると、ゆっくりしたようなしないような、
なんとも不思議な感覚に仕上がった新年初月。
仕事について、あれこれと考えさせられる機会に
多々恵まれながら、自分のルーツについて、
感覚を頼りに粛々と考え、感謝する日々。
結果、結構忙しかったのかもしれない。

祖母の旅立ちを見送る朝の空。
寒波による積雪の影響をものともせず、
斎場から戻る頃には晴天になっていたのが
印象的だ。

享年100歳の祖母の旅立ちが気づかせて
くれたことは、想定よりも遥かに大きい。
彼女が肉体に在った間、この家のエナジーを
どのくらいホールドしてくれていたのか、
ということを少しずつ感じている。

こうして、今感じていることを
記しておこうと思ったものの、なかなか、
体がそれに伴わなかった。
3週間が経とうとする今、少しずつ、少しずつ。

*****

スピリットが肉体を離れた後の祖母の顔が
あまりにも穏やかで、まるで仏のような顔を
最期に見せてくれたことが、わたしの中の
「もっと何かしてあげられたかも」
「最期を看取ってあげられなかった」
といった自分都合の罪悪感的な気持ちから
かなり解き放ってくれた。


今月初旬に病床で誕生日を祝った以降、
祖母の声を直接聞くことはできなかった
けれど、最期の最期まで、大正生まれで
戦争未亡人となり、その後、父の家業を
裏で支え続けた人としての生き様を
見せてもらえた気がする。


20代で恐らく結婚、嫁いできたであろう
祖母が、結婚後数年の間に続けて
夫を戦争で、長男を病気で失ったことが、
その後の彼女の行き方を左右しないわけが
なかった。そして祖母という人は、
そうしたことを語ることすらほとんど
しなかった、とわたしの両親は言う。
わたしも戦時中の話を祖母から聞いた記憶は
ほとんどない。語るには辛すぎること
だったのかもしれないなあと今更ながら想う。


ここ数年、「家族」という集団における
力学(ダイナミズム)にとても興味がある。
そんなことと、今回の祖母の旅立ちと
合間って、読んでいる本があるのだが
(難しくてなかなか読み進まないことは
あえて触れないとして)、その本の考え方
として、何が起きていようとも「先人」に
敬意を払う、というベースの考え方があり、
今回の祖母の旅立ちにおいて、非常に
考えさせられかつ体感として実感したこと
なのである。


祖母は恐らく嫁である母には厳しく
当たったことは少なくない。わたしも
子供ながらに、そんな祖母に敵意を
抱いたことすらあるのをよく覚えている。
時に父はその狭間に立ち、双方の機嫌を
伺っては返り血を浴びる、なんてことも
よくあった。これをある種の「確執」の
呼ぶのであれば、確実にそれはあったのだ
と思う。子供のわたしは、そのことを
「絶対悪」だと思う節があった。
みんなが仲が良いのが「絶対善」なのだと。


大人になるにつれて、人の心の仕組みを
少しずつ学んでいくにつれ、その考え方は
次第に薄れていった。それはまだ最近で、
30代半ば以降のこと。 そう思うようになるに
つれ、自分の家族という集団に起こっている
力学にますます興味が湧いた。


まだ確固たる答えは見出せないけれど、
わたしが祖母から受け継がれてこの世に
生を受けたという事実だけを正面から
受け止める機会に、今回なったことは
間違えない。そして、そのことに、
最大の敬意を払って祖母を見送った。


息子である父や、義理母である母にとって
それぞれ、祖母の旅立ちへの受け止め方が
あるはずで、それを時に知りたいと思う
時もあるけれど、いつか知れる時に
そんな話が両親とできたらいいな、と思う。


うちは、曹洞宗の作法に則って葬儀を

行った。通夜の最初に、死者に対して、

「あなたは肉体を離れたのであって、
   これから住まうところはこの大地の
   上ではないのですよ」と諭すお経から
始まるのだ、と葬儀やさんの担当者さんが
説明してくれた。浄土宗にみられる
「即身成仏」とはまた違う考え方なんだ、と。
お経に聞き入っていて、確かに
諭していたと思った。


どんな宗教宗派であれ、このような儀式が
見送る側に与える気持ちの区切りは、
大きいなあと思った。長年伝えられて
くるだけの意味と価値がある、と、
初めて思ったかもしれない。


とあるお世話になっている方から、
今回の祖母の旅立ちについて、
自分の感覚をオープンにしておいて
何を感じるかみておくといいよ、という
アドバイスをいただいた。
「死」とは、強烈に「今ここ」にある
出来事なのだと。そして、そんなに
数多く体験できることではない、と。


まだまだしばらくオープンに在りたい、
と思うわけであります。

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